| YAMASA通信 No.71 2006年6・7月号 YAMSA言語文化研究所・隔月発行 | ||||||||||||
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先日、Bクラスで、各個人がテーマを決め、インタビュー活動を行いました。
SILAC講師 烏山房恵わたしは2ヶ月ちょっとAIJPの非常勤講師として臨時で働いて、その後SILACで常勤講師として3年働き、今年で4年目になります。YAMASAで臨時で働くようになったころからずっと思ってきたことは、「文法的知識がしっかりしていて、学生が知りたいことを何でも教えることができる教師になりたい。授業が楽しくてあまりやる気がない学生もいつの間にか日本語が好きになるような授業ができ、また、学生の気持ちがわかって、親しみが持てる教師になりたい。」ということです。そのために自分には下積みが必要だと思っていました。何年か非常勤講師をして、少しずつ授業を増やしてもらって、そのうち担任を任せてもらえるようになって、いつか常勤講師になれたらいいなと思っていました。 ですから、4月にSILACの常勤講師の空きができて、董先生にやらないかと言われたとき、最初は自分なんか全然無理だと思いました。しかし、福岡から出てきて一人暮らしをしている私は「ある程度安定した生活ができないと、いい先生にはなれないよ」ということばで常勤講師になりました。 しかし、実際、SILACで常勤として働くようになって1年目は、毎日徹夜、徹夜、徹夜でした。常勤なので授業数も多いですし、担任業務もありますし、そのころは新任研修などもまだなかったので、時間割一つを作るのにもぜんぜんわからなくて、朝から晩までパソコンの前にじっと座って考えていたこともあります。授業の予習も大変で、毎日最後まで教務室に残り、夜11時19分の最終電車で名古屋へ帰り、金山駅に着いたときは、12時を過ぎていて翌日になっていました。土曜日もほぼ毎週出勤して予習していました。そうやってがんばって、日曜日は電池が切れて死んだように寝て、やっと月曜日からまた働けました。うちにいても起きている時間のほぼ全てが授業の予習で占めるようになり、自分のことに構う時間がなくなってしまいました。 それでも、そうやってがんばらないとやっていけなかったので、必死でしたが、ふと気がつくとなぜか涙が止まらなくなっていました。あまり寝ていない、ちゃんと食べていないため、体を壊して、病院へ行くと、そこまでひどいなら入院しなさいと言われて青くなったこともありました。 それでも、全く日本語が話せなかった学生がだんだん話せるようになるのを見ると、自分がしてきたことの結果がわかるので、遣り甲斐があります。また、自分が教えた学生がYAMASAはよかったからと言って、また戻って来て勉強を続けてくれたり、日本語で手紙やメールをもらったりすると、うれしくなります。それで、この仕事が辞められないのだと思います。 常勤4年目になり、仕事も増えましたが、それなりに要領もわかり、徹夜して仕事をすることもなくなりました。自分の生活をちゃんとするようにして、これからも仕事をがんばって行きたいと思います。
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現在、日本と日本語に興味をもってくれている人々が世界中に大勢います。そんな彼らがある日、日本で日本語を学んでみようと思い立った イタリアの優勝で1ヶ月間の世界的なスポーツイベントが終わりました。日本が予選リーグの緒戦として戦ったオーストラリア戦は、YAMASAにおいても大いに盛り上がりました。 ![]()
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