YAMASA通信 No.79 2007年10・11月号 YAMSA言語文化研究所・隔月発行
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■ ホストファミリー受け入れ体験談 ■
今年の夏、ホームステイを受け入れていただいたホストファミリー二家族の体験談をご紹介します

●板倉 直美様(岡崎市在住) 黄 意淳さんのホストファミリー

 初めてのホームステイ受け入れで不安と心配の中でのスタートでしたが、淳ちゃんのとても人懐っこく明るい笑顔と上手な日本語のお陰で楽しく5週間を終えることができました。毎日、仕事帰りに待ち合わせをして一緒に夕食の買い物に行きました。「生きた日本語が知りたい」ということで買い物中も車で移動中も、はやり言葉や短縮語など、思いつくまま色々な話をしました。分かりにくい時は漢字で書いたり、カタコトの英語を使ってみたり(ほとんど通じなかったけれど)私自身も勉強になったし、とても楽しかったです。「お父さん」「お母さん」と慕ってくれる淳ちゃんは、素直で明るく、とても家族思いのやさしい子でした。
 いざお別れとなるととても寂しく、何もしてあげられなかったなと心残りを感じています。そんな私に帰国後も電話をしてきてくれて、とても嬉しかったです。今でもメールのやりとりをしています。最初はホームステイには消極的でしたが、今では素敵な思い出と、良い経験ができてよかったと思っています。
淳ちゃんありがとう。いつでも帰って来てね! 日本のお母さんより。                    




●葛山 真理子様(名古屋市在中) Helene BURGERさんのホストファミリー

 エレンは、ちょうど私の誕生日の日に我が家に来ました。私の誕生日会をした時、一緒に歌を歌ったり、ケーキを食べたりしてとても楽しかったです。その他にも、一緒にお買物に行ったり、おしゃべりをしたりして本当に楽しかったです。また来年、エレンに我が家に来てもらって、一緒に遊んだりしたいです。

〜葛山梨夏〜

 ホストファミリー生活も3年が過ぎ、今までにたくさんの留学生と出会いました。エレンは10人目になります。
私達は、気を使うことなく普段通りの生活ができ、とても楽しく毎日を過ごしました。朝食・夕食時の団欒は、エレンのユーモラスなお話で盛り上がりました。日本語も来た時から上手なのでビックリしました。ゆっくりの会話ですが、私達は十分理解できます。エレンは、遠い通学も「大丈夫、大丈夫・・・!!」と言って頑張っていました。YAMASAの留学生の皆さんには交通費や通学時間の面で負担をかけておりますので、大切な家族の一員として接しております。そして、エレンの滞在中2泊3日でルクセンブルクの旅行客(サブリナ)も滞在しました。エレンもサブリナも、大相撲の名古屋場所を観戦し「相撲は、おもしろい!!興奮しました。!!素晴らしい日本の文化です!!」と話してくれました。
エレンの滞在は3週間と短かったですが、とても楽しくて充実した夏でした。

〜葛山真理子〜


■ 学生のホームステイ体験談 ■
上掲、板倉様と葛山様にお世話になった学生のホームステイ体験談です。

黄 意淳(台湾)

 とてもよかった。ホームステイの家族のみんなは親切にしてくれて、お父さんは淳ちゃんが家族です、guestじゃないと言いました。そう話すことを聞いて安心になりました。毎日、お父さんとお母さんが私を学校に送って、むかえに来てくれて、本当に幸せですよ!私はお父さんのホームステイが一番いいホームステイと思います。お母さんと買い物に行くとき、いつも、おもしろい日本語を教えてくれて、生活言葉を教えて、かみに書いてくれて本当にやさしいですよ!もう一度日本へ来た時はホームステイをしたいです!
PS
(1)もっと犬がこわいと思いました。子供の時から、犬がきらいですが、お父さんのうちに犬がいると聞いてとても心配でした。でも、初めてうちへはいって、おちゃという犬をみて、安心しておちゃはとてもしずかですので、こわくない、食べること大好き、かわいいです。
(2)うちでインターネットをつかえて本当によかった。毎日台湾の家族とインターネットで連絡でき、台湾の両親は日本のホームステイの状況を知って安心しました。
              (3)お父さんは日本の携帯を買って貸してくれて、ホームステイの家族に連絡しやすく安全でした。


Helene Burger(フランス)

 ホームステイは素晴らしかった。家族はとてもフレンドリーで、お部屋はとても広くて快適でした。岡崎からは少し遠いですが、学校に行くまでは簡単で名古屋に出るのにとても便利でした。家族は私を自由にさせることを許してくれて(鍵を受け取りました)、私の我儘をとても寛大に受け入れてくれました(私は夜も外出できたし、何の問題もなく旅行をすることができました)。家族はとても親切で、ホストマザーは毎日私と、わかりやすくゆっくりとした日本語を話す努力をしてくれましたので、私はニュースや家族で何が起こっているかを理解できました。子供達や父さんもまたとても親切でフレンドリーでした。家族の皆が私をとても助けてくれて、私のホームステイ後の日本旅行案に、いろいろなアドバイスを提供してくれました。私は、来年も葛山さんの家族にぜひお世話になりたいと思っています。
葛山さんの御家族は、私を本当の家族の一員として扱ってくれたのでとても感謝しています。




 今年6月にYAMASAの養成講座を修了し、現在、トヨタ自動車への派遣授業を担当している鈴木詠理さんが同期の人たちに送った近況報告です。ご本人の了解を得て転載します。日本語教師なら皆、誰もが経験した新米の頃の苦労と情熱がひしひしと伝わってきますね。


 今、月・木曜日の夕方にトヨタ自動車で教えています。通勤時間は信号が青ならば2分です。至近の距離です。学校との大きな違いは、教える範囲や方法は全て自分で決めるというところです。自由はありますが、同時に責任もあります。
教科書は新日本語の基礎を使っています。教科書分析をした方はおぼえていらっしゃると思いますが、分析通りほぼ「みんなの日本語」と同じです。みんなの日本語の方が教える項目がたくさんあり、新日本語の基礎は、「工場、部品、実習します」など、工場関連の語彙が出てきます。実際、みんなの日本語では習う文型が入っていなくて、20課普通形の授業をしたときに、学生さんが全員「キョトン?」としたことがありました。新日本語の基礎は「〜てはいけません」を20課までに勉強しないんです。とてもびっくりしました。今期の私の担当は20課からです。どうしようか考えましたが、20〜25課はとても重要だと思ったので、20〜25課までしっかり授業をすることにしました。今は1課6コマで授業を組み立てています。6コマ目は聴解メインで行います。
20課からですと、その前、20課までの文型や習ったこと、助詞などをチェックしないといけないため、実際20課の教案を作っていても、他の課を勉強していることも多かったです。時間がある方は1課から自分で教案を作って見るか、授業のプランを立ててみることをおすすめします。勉強が日々の積み重ねということを痛感した次第です。 クラスは10人です。アジア系3人と欧米系7人です。仕事が忙しかったり、一時帰国があったりして全員揃うことは少ないですが、とても楽しいクラスです。
 授業準備は大変です。養成講座のとき、10日で15分分を作るだけでも大変だったのに、今は3〜4日で100分分のものを作っています。ひどいときは6時半からの授業なのに5時まで教案や教材を作っています。今日もそうでした。でも、学生さんが「わかった!」という顔で聞いてくれたり、いろいろ話し掛けてくれたりすると、疲れも吹き飛びます。いろいろ大変なこともあるけれど、日本語教師って楽しいなぁと思って授業をしています。 あと、一緒の時間に授業をしている先生方がとてもよい方ばかりで、私が授業がうまくいかなくてへこんでいると、「絶対落ち込んじゃダメだよ。落ち込んでたらできないよ」と励ましてくださいます。文法的にもわからないことや不安なことも相談することができ、とても恵まれていると思います。 私がうまくいった活動を少し紹介します。
 まず、くじを作ります。中には学生さんの名前が書いてあります。名前が書いてある学生さんはどんな人かを、あらかじめ用意したプリントに書いてもらい、クイズにして発表してもらいます。
例えばめがねをかけている人です。黒い靴をはいている人です。髪が黒くて短い人です。(この形容詞の形はなかなか定着しない人が多いので、練習にもなります)などなどで、みんなで誰のことかを当てるというものです。
会社ということもあり、みんな同じような服装をしているので、わかる文が出ると「あ〜!」というような顔をして盛り上がりました。中には一生懸命形容詞をつけて文を作ってくれたのですが、「安い時計をしています。」「汚い靴をはいています」と作る学生がいて、どうしよう〜^^;;;と思ったものもありましたが、自分で作ることができて学生も達成感があったみたいです。
                                 さっき授業が終わったばかりです。今週はテストの丸つけ&教育実習の課題でもあった23課「るとき」「たとき」の導入の準備をします。正直とても不安です。でも頑張ります。                






 「ここは教室です。」「電話はあそこです。」                                毎朝8時なると教室から日本語が響き渡ります。45分間教科書を大きな声で読む「朝読み」から一日が始まり ます。
 上海と言うと大都会をイメージしますが、私が日本語を教えていたのは、上海でも郊外にある全寮制の専門 学校でした。学生たちの多くは、一度社会に出て経験を積み、さらに自分のキャリアアップのために1年間で 日本語能力試験1級2級の合格を目指し勉強していました。
 赴任したばかりのころは、それまでの日本とはかけ離れている環境にしばしば戸惑いました。学校にあるものは、教科書と言葉の絵カード、そして数枚のCDのみで、クーラーはいつも微風。印刷機は「機嫌」がいい時にしか使えず、コピー機は一日に2回は壊れました。テスト前になると、いつも印刷機の前で「無事にできあがりますように」と手を合わせて祈っていたことを今でも鮮明に覚えています。
 中国では9月15日に「教師の日」があります。私はその存在を知らず、いつものように教員室で授業準備を していました。廊下からドシドシっという足音が聞こえたかと思うと、突然ドアが開きました。学生たちがにこにこしながら、「先生、今日は先生の日です。先生いつもありがとう!!」と言って、ぬいぐるみやら、ケーキやら、いろいろなプレゼントをくれました。そのころ私は日本と違う環境を嘆くのではなく、ここでしかできない授業はなんだろうと悪戦苦闘していたので、学生たちの言葉は何よりもうれしいプレゼントでした。
 お世辞にもいい環境とは言えませんでしたが、心優しい一生懸命な学生たちのおかげで、それまでに感じたことのない、日本語を教える楽しさを知ったような気がします。学生たちから届く日本語で書かれたメールを読むたびに、死ぬほど暑い教室でみんなで笑いながら勉強していたあの頃を思い出します。





 いよいよ秋である。先週の日曜日に、駒ケ岳に紅葉を見に行った。朝6時に岡崎をで、駒ヶ根に8時に着いたのであるが、麓の駐車場は一杯で スキー場の駐車場まで、案内され、ロープーウェーまでのバスの待ち時間が半時間であった。バスに乗る前には、ロープーウェーの待ち時間が2時半聞いていたが、着いてみたらなんと、3時間待ち、駐車場のアスファルトで昼飯と昼寝をしながら、12時半過ぎにやっとロープーウェーに乗車し、8分で2,660メートルの千畳敷駅に到着した。整理券を貰うが予定時刻が2時15分、ただし、その整理券の乗車が早まるとのことであった。
 1,660メートルのロープーウェーの出発駅では雲がかかっていたが、千畳敷は快晴、中央アルプスや富士山まではっきり見える素晴らしい秋晴れのなか、紅葉を楽しみなら、駒ケ岳の頂上と宝剣岳を目指した。今年は、6月の旭岳は快晴であったが、8月の富士山は、台風の影響で暴風雨で、今回はまた秋晴れで天候に関しては2勝1敗というところである。ゆっくり山頂を散策して、戻ってくると2時半、整理券のゴントラはすでに降りており、新しい整理券を貰う。なんと予測時間は5時半であった。太陽が当たっている間は、それほどでもないが、陽が隠れると気温は10℃で、さすがに2,600メートル、風も強く、結構寒い。それでも団体客や個人のお客様が8分おきにゴンドラにのって60人ずつ到着、午後5時を過ぎてもガイドさんに先導され、登山の服装もなしに登ってくる人たちが多くいた。もちろん帰りのゴンドラの時間は7時を過ぎる、レストランの営業もホテル宿泊客のために5時半で終了するなか、どのように過ごしたか想像できない。
 暖をとるためにレストランで軽食を食べたが、厨房の一番真ん中に服部工業のGPC、圧力式炊飯器が2台、蒸気を噴出しながらフル回転であった。富士山の8合目の山小屋もそうであったが、駒ケ岳もやはり活躍していた。家族に久しぶりに会ったような楽しい気分になりながら、闇の中を降り駐車場に到着したときは、6時半、岡崎に戻って8時半であった。一日14時間半、車が4時間、登山が2時間、8時間半をただひたすらに待った。とてもスローな一日に感謝である。   





 10月25日、岡崎市と姉妹都市であるスウェーデンのウッデバラ市の教育使節団団長ご一行がYAMASA言語文化研究所を訪問されました。団長のリリー校長、副団長のビヨーネ先生、通訳のビヨンさんの3名と日本側付き添いの杉田先生です。
 本校で勉強するスウェーデン出身学生は現在10名います。学習振りを見学され、その後、懇談会を持ちました。懇談会にはカールさんはじめ6名が参加し、YAMASAでの勉強の様子や寝泊りする寮などに関しての質問に答えていました。YAMASAの授業についても話が及び、直接法(日本語だけで日本語の授業を進める)
がとてもよく、勉強が身につくということも、スウェーデン語で話していました。
 ウッデバラ市役所の職員でもある通訳のビヨンさんから、「ウッデバラの市民を10名程度、YAMASAに送って勉強することができますか」との質問があり、長門校長が「もちろん歓迎します」と答えていました。ウッデバラの方でも日本語の学習機運が高まっているのではと推測させられました。





 ある日、授業で「〜べきだ」の表現を勉強して、「日本人は『はい/いいえ』とはっきり言わないので理解しにくい。もっとはっきり言うべきだ」というテーマについて、皆でいろいろな意見を発表しました。その時、賛成と反対の意見がほぼ半分半分です。賛成した人たちは、もし自分の気持ちをはっきり言わないと、他人に迷惑をかけるかも知れないので、やはり素直に自分の気持ちを伝えたほうがいいと言いました。反対の人たちはそれが日本人だけあって、人に気配りをする気持ちですので、もし日本人の社会に入るなら、必ずこの曖昧な表現に慣れなければならないと言いました。今日は日本の文化が生んだ曖昧な表現について話したいです。
 まず、辞書で曖昧という言葉を調べてみます。曖昧とはあやふやなこととか、確かでないこととか、紛らわしいことのようなはっきりしない気持ちを表すという意味です。曖昧の後ろにつける言葉もいろいろあります。例えを言うと、曖昧な関係、曖昧模糊な説明、曖昧な言葉などと表現されます。深く考えると、「境界線がはっきりしない」ことを想像させて、もしくは「いろいろな可能性があってどれかわからない」ことを想像させます。
それは日本人なりの曖昧な表現だと思います。
 では、例を挙げてみましょう。友達を誘う時によく使われる表現ですが、「明日、一緒に映画見に行かない?」と聞いたら、誘われた友達がもし「明日はちょっと・・・」と答えたら、それは確かに誘いを断ると言う意味です。皆さんもそのいい方をよく知っていると思います。もう一つ例を挙げると、「明日、クラスのパーティーに行かない?」、日本人が「行けないかもしれない」と答えた場合は、行く可能性はいったいどの位だと思いますか、私なら行く可能性は大体80%だと判断しますけど、実際に日本人に聞くと99%行かないと判断されるでしょう。  以上の例でもわかるように、日本人は言いたいことをはっきり言わないのです。これは日本の国土が狭くて海に囲まれているので、ここに住んでいる人々は、長く同じような生活を共にしています。皆は親しく付き合っているから、お互いにわかっていて、自分の気持ちをはっきり言わなくても相手もわかってくれるからだと言われます。断るつもりの日本人も直接に「いいえ」と言わずに、自分の気持ちを相手にわかって欲しいと思っています。「いいえ」というと、仲が悪くなると心配しているからです。これは中国からの儒教に影響されたといった人もいます。
 外国人として私たちは、日本人なりの曖昧な表現について、まだまだ勉強しなければならないことがたくさんあります。諺で言うと、「郷に入っては郷に従え」だということです。

※平成19年度スピーチコンテストは、20年2月22日(金)「コロネット」で行われます。
 ご希望の方はご自由にご参観ください。


■ 編集部より ■
 今号もホームステイ関係の記事を掲載しました。お陰様で登録家庭数も増え、たくさんの学生さんが日本人家庭で生活する機会が増えてきました。出会いはいつも偶然の要素が色濃いものですが、ステイを終えた後の感想や作文からは、必然の別れにも、大きな感動と感謝の言葉が溢れています。  (S.S)          

ホストファミリーを募集しています。詳しくは岡本までご連絡ください。
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