YAMASA通信 No.80 2007年12・2007年1月号 YAMSA言語文化研究所・隔月発行
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 今年も新しい年が始まりました。皆さん、お正月はどう過ごしましたか。昨年を振り返り今年への決意を新たにした人、未来への夢を再確認した人など様々でしょう。
 私は昨年2月に校長を拝命しましたが、私自身のことについてあまり御存じでない人もいらっしゃると思いますので、今日はこの紙面を借りて自己紹介させていただくとともに、日本語教師としての自らを振り返る機会にさせていただきたいと思います。普段はこのYAMASA通信の紙面編集を鈴木忍さんと手掛け、毎回皆さん方に執筆や原稿を依頼している立場ですが、今日はその職権を乱用することをお許しいただいて、かなりの紙面を使わせてもらいます。

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 私が日本語教師という職業を目指すようになったのは50歳の時でした。それまでの28年間、私は商社で鉄鋼製品の輸出入と国内営業に携わってき、その間、韓国(5年)とブラジル(2回で計5年半)の駐在を経験しました。ちなみに韓国語は駐在年数のわりに全くダメで、アフターファイブのサバイバル会話がちょっとできるくらいですが、ブラジル語(ポルトガル語)は1回目の駐在が語学研修生だったこともあり、今でも簡単な通訳ぐらいはなんとかできます。
 私が日本語教師という職業を目指すようになったのは50歳の時でした。それまでの28年間、私は商社で鉄鋼製品の輸出入と国内営業に携わってき、その間、韓国(5年)とブラジル(2回で計5年半)の駐在を経験しました。ちなみに韓国語は駐在年数のわりに全くダメで、アフターファイブのサバイバル会話がちょっとできるくらいですが、ブラジル語(ポルトガル語)は1回目の駐在が語学研修生だったこともあり、今でも簡単な通訳ぐらいはなんとかできます。  そんな私が「日本語教師」と出会ったのは、ある日、本屋の職業・資格関係書籍のコーナーでふと手にした日本語教師についての紹介本がきっかけでした。毎日数字に追いまくられる日々に徒労感を覚え、なんとなく第2の人生を模索していた私は、その本を立ち読みするうちに「これだ!」と思いました。早速買い求め、巻末にあるリストから養成講座学校を選び始めたのですが、さすがにいきなり会社を辞めて飛び込む勇気はなく、まずは仕事を続けながら土・日に通える学校を探すことにしました。当時は東京に単身赴任中だったので週末開講の学校はいくつか見つかり、その中からアークアカデミーを選んで通い始めました。半年ぐらい通ってみてその後、自分自身に相談してどうするか決めようと思っていたのですが、勉強を進めるうちにどんどん知的好奇心を刺激され、まさにハマっていく自分を発見したのです。そして5ヶ月間通った後、日本語教師を第2の人生にすることを決め、2000年9月30日に会社を辞めました。その時の解放感の大きさは今でも忘れられません。「明日からはもう時間に縛られることはない。24時間を全く自分だけのために自由に使える!」まさに「毎日が日曜日」の始まりであり、それはまた、検定試験一発合格!の目標に向かって朝から晩までの猛勉強の始まりでもありました。退職とともに東京の単身赴任寮は引き払いましたが、アークアカデミーについては翌年の1月まで東京校に在籍し続け、日曜日ごとに新幹線や長距離バスを使って通い、2月からは同校の大阪と京都校に転籍し、土・日に通いました。長距離バスの車内灯の下で必死になってサブノートを暗記したことはとても懐かしい思い出です。
 そして無事目標も果たし、養成講座も終わりに近づいた01年7月初め、電話帳のイエローページで調べた愛知県のすべての日本語学校に電話をしたうえで履歴書を送ることにしました。何せ失業保険をもらっている身で、しかも養成講座に通う交通費も随分使っていたので、何としてもすぐ職にありつきたいと必死でした。その思いを共有したいと思ったのでしょう、妻がその履歴書送付の宛名書きを申し出てくれました。確か10校前後だったと記憶していますが「この中のどこか1校でも声を掛けてくれるところがあったらいいね。」と言いながら宛名書きをしてくれた妻の姿をあの時ほど嬉しく思ったことはありませんでした。どこからも声が掛からなかったらどうしよう、という不安を胸に祈る気持ちで投函しましたが、嬉しい事に2日後にIC NAGOYAから試験をしますとの連絡があり、早速指定された模擬授業の準備をして出かけ、面接も受け、即日、内定通知をもらいました。その時の嬉しさはもちろんですが、とにかく初めの一歩が踏み出せた安堵感で一杯でした。
 こうして日本語教師としてのスタートを切った数ヵ月後の01年10月、YAMASAの当時の教務主任だった伴友乃先生から採用試験をする旨の電話をもらい、50分の教案3本を作り、試験に臨みました。試験は図書室での模擬授業と302教室での董先生と伴先生による面接でした。模擬授業はそれなりに順調に進んでいったのですが、途中で「地図に交番が書いてあります。」と言ったところ、学生役を務めていたある先生から「交番?わかりません。何ですか。」と質問をされた!その瞬間、頭が真っ白、動揺する心を必死に抑え、咄嗟に帽子と警棒のジェスチャーで「おまわりさんです。交番はおまわりさんがいる所です。」とやってしまいましたが、直後に調べたら、「おまわりさん」は「みんなの日本語」では出てこない語彙であることがわかり、愕然としました。「こりゃ駄目だ」と打ちひしがれた思いで、岡崎駅までトボトボ歩いて帰る途中、教具を入れていた紙袋の紐が切れ、道路に散乱した教具を拾いまくりながら、なんだかとても悲しい気持ちに襲われたのを昨日の事のように覚えています。数日後、伴先生にメールで模擬授業についてのコメントをお聞きしたところ、「教案はよく出来ていたと思います。授業は大きな声で落ち着いていて良かったですが、質問された時の対応にちょっと工夫が欲しかったです。」といったような内容のご返事だったと記憶していますが、いずれにせよ「うん!納得」という感じでした。
 こうしてYAMASAでの仕事が始まり、もっぱら企業派遣を中心に担当しました。依頼が来たら絶対に断らないことを自分に課していましたので、どんどん仕事が増えていきました。そうこうしていた02年の1月にECCから電話があり「採用担当の田畑です。2月に定期採用試験をやりますので、受けられませんか」とのお誘い。とても嬉しかったのですが、その時、既に2校で目一杯仕事をいただき、さすがにこれ以上はやれない状況だったので丁重にお断りしました。ちなみにその時のECCの田畑さんというのは現AIJPの田畑理咲さんです。この業界にいるといろいろなところで接点が出てくるものですね。そしてその年の6月でIC NAGOYAを辞め、YAMASA一本にし、今日に至っています。

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 長々と紙面を私物化してしまいましたが、私が書き綴ったような思い出はどなたもお持ちだと思います。同じ仕事をずっと続けていると、ともすればマンネリや惰性に落ち入りがちになるかも知れませんが、どうか皆さんも日本語教師を目指した時の熱い想いと、採用された時の喜びと決意を折に触れ思い出して、自らの戒めとされてはいかがですか。





 去る2007年12月19日(水)に、AIJPのNクラスとOクラスで「餅つき」の授業を行いました。
 なぜ、餅つきを授業ですることになったかというと、『みんなの日本語』第34課の会話授業の活動として、いつもですと、茶道など日本文化体験を行っているのですが、学期末でお正月も近いこと、彦坂先生のご自宅に餅つきができる杵と臼があり、毎年餅つきをされていることなどから、茶道の代わりに餅つきの体験授業をすることになりました。
 当日は、3限目に第34課の文型を使った会話練習と「日本のお正月」についての紹介をし、4限目に体験として「餅つき」を実際に行いました。場所は、「ZIGZAG」の前の広場でした。寒かったですが、心配していた雨も降らず、よかったです。餅つきの道具は、全て彦坂先生が持って来てくださり、下準備も前日からしていてくださいました。今どき、ご自宅に昔ながらの杵と臼があり、毎年それで餅つきをしていらっしゃる彦坂家はすごいです!私たちもぜんぜんやり方を知りませんでした。
 学生たちは、初めて見る杵と臼に興味津々でした。NクラスもOクラスもほとんどの学生がちょっとずつ杵を振い、餅つきを体験することができました。女子学生も「重い!」と言いながら、楽しそうに杵を振っていました。
 搗き上がった餅は、その場で、黄粉、餡子、大根卸しにつけて食べました。昼食後でしたが、みんな結構な量を食べていました。


 YAMASAで日本語を教え初めて、はや数年。その時の流れの速さに驚きを感じると同時に焦りに近いものも感じる。私が教師を目指していたときになりたかった教師に果たして少しでも近づいているだろうか。そう自問することがたびたびある。
 テレビである日本酒のコマーシャルを見たことがある。同窓会なのであろうか、二十代半ばの男性たちが、50代くらいの男性を囲んで酒を飲んでいる。ある若い男性がこう言う。「僕は先生のことが嫌いでした。僕は先生のような教師を目指したいと思います。」それを聞いた彼の恩師は表情を少しゆるめて、駆け出しの新米教師と酒を酌み交わすという場面だ。教職を目指すものなら、こんなことを数十年経って、教え子に言われたらどんなに感慨深いだろうと思いを馳せるのだろう。だが、私は自分自身が世話になった先生方を思い出しながら、はたしてその「嫌いだった先生になりたいか」と考えてしまった。答えはノーである。
 厳しい教師。この教師には実はざっくりと言って、ふたつあると思う。社会にでた今、その厳しかったある恩師の顔を思いうかべると、ほのかな暖かみを感じる。ある厳しかった教師のことを思い起こせば子供時代にうけた心の古傷にさわったような気がしてならないときもある。はたして今の自分はYAMASAの学生たちからみて、どのように映っているのだろうか。そんなことをそのコマーシャルを見て、ふとそう考えた。
 子どもはとかく厳しい教師を敬遠しがちである。とはいえ、例え子供でも四六時中、一緒に生活していれば、この厳しい先生はどちらなのかは見て取れる。大人になった今ならばなおさらだ。子供のときに抱いた「この先生はどうしてこんなに私をしかるのだろう。耳が痛いことばかりいうのだろう」という疑問に満ちていた恩師の背中を追いかけて、今、私はジャンルこそ違うが、同じ教職の道を歩んでいる。本当に不思議なものだと改めて思う。その恩師も今は50代後半。「生徒にあんなに真っ正面から向き合えたのも若かったからだよ」とその恩師は屈託のない笑顔でこう答えてくれた。ある小学校の同窓会で。私は確かにその恩師を疎ましく思っていたが、春の終業式を迎える頃にはほかの生徒と一緒になってその恩師との別れを泣きながら惜しんだのをいまでも鮮明に覚えている。
 わたしの「嫌いだった」教師はとにかく私たちの気持ちには無頓着だったように思う。なんともいえない義務感にしばられていた。言うことを聞かない生徒に一方的に教師側の言い分を、ときに力ずくで押しつけていた。そんな印象だ。同じ教壇に立っている大学時代の友人とはよくこんな話をする。「そんな教師にはなりたくないね。」と。
日本語教師になり、日々が過ぎるなかで、徐々にその学生側の視点にたつことを怠っている自分に気がついた。正直焦った。そして、こうも思った。「私が嫌いだと思っていた先生ももしかしたらこんな状況だったのかなあ。」と。
携帯ゲーム機で英検トレーニングという教育ソフトを友人から借りる機会があった。学生時代にはそれほど苦労しなかった問題にてこずり、大いに焦った。知っているはずのものが答えられなかったときの悔しさを思い起こした。少し学生時代の自分の心に近づけた。心が弾むのを感じた。まだまだがんばらなければ、そんな気がした。



日本語教師なら誰もが興味がありそうな文法事項についての考え方を、今号からいくつかシリーズで連載します。
執筆者はいずれも企業派遣・プライベートコース主任の杉田正先生です。
日本語教師ではない方々にも、日本語の面白さや難しさの一端に触れていただけると思います。第1回は12月19日のコラボレーションからの転載です。


 日本語教師として、文法/表現のエッセンスを掴み取ることが重要です。それは、他の言語に直訳した場合にはなかなか現れてこない、その言葉/表現ならではの意味の成り立ちとでもいいますか。日本人なら自然に体得しているそのイメージを言語化(意識化)しておき、学生にそのエッセンスをバチっと伝えられるといいですね。以下にひとつ例をあげておきます。少しでもみなさんの参考になればと思います。
 「動詞+ておく/動詞+てある」という『みんなの日本語』30課の文型を例にとってみます。『みんなの日本語』の文法解説によると、これら文型の説明として、「準備」だの「放置」だのというような言葉が出ています。しかし、そのエッセンスとは何なのか。それを解く鍵は、「おく」と「ある」にあると思います。
 「おく」と「ある」は、一見まったく関係のない動詞のように見えながら、実は表裏一体の関係にあります。例えば、今、目の前の机の上には、何もない。しかし、ここに何かモノを置いてみる。すると何かモノを「おいた」結果として、今、目の前には、そのモノが「ある」ことになりました。何もなかったところにモノを「おく」という「行為」を行った結果、モノが「ある」という「状態」が生まれたわけです。そしてこのモノそのもの、あるいはこのモノがあるという状態は、何事もなければ、この先ずっと続くことになります。ここポイントです。こうして、「おく」という行為の結果、そこに「ある」ことになったこのモノは、今この瞬間も、あるいは将来のある時点においても、そこに「ある」限り利用することができる。しかし忘れてはならないことは、そこに「ある」ためにはあらかじめ「おく」という行為があったということです。
 たとえば、明日の午後旅行に出発するとする。今、目の前には、空のスーツケースが「ある」。どうしてあるのかと言えば、さっきここに「おいた」からです。でも、下着やカメラやパスポートは「ない」。なぜかと言うと、さっきスーツケースを置いたときに、一緒に「おかなかった」から。今、たんすから下着を取り出してきて、スーツケースの隣に「おく」。すると下着はそこに「ある」ことになりました。こうして一つずつ「おいて」いくと、いまやスーツケースの回りには、旅行に必要なものがたくさん「ある」。旅行に必要なものをたくさん「おいた」結果生まれた、旅行に必要なものがそこに「ある」という状態は、何事もなければ、明日の出発時間まで続きます。すなわちこれが準備OK!ということです。ふとトラベラーズチェックが「ない」ことに気が付きました。そこで明日の朝、銀行へ行って発行してもらうことにしました。銀行から帰ってから、スーツケースの隣に「おく」ことにします。今は「ない」けれども、明日の朝「おく」ことによって、明日の午後出発するときには「ある」ことになる。「おく」と「ある」の関係とは、このようなものです。
 次に「動詞+ておく」と「動詞+てある」を考えてみます。実はこれは、「モノをおく」と「モノがある」の、モノの部分が「動詞+て(行為)」になったものだと考えればいいですね。これは「〜をあげる/もらう/くれる」と「動詞+てあげる/もらう /くれる」の関係と似ています。こちらの場合は、「モノの授受」と「行為の授受」ということで、よく知られていますね。同じように「おく/ある」と「動詞+ておく /動詞+てある」の場合も、「モノ」の部分が「行為(あるいはその結果としての状態)」に代わったのだと言えるでしょう。
 今何もないところに、ある行為を行い「その行為の結果」を「おく」(この「おく」はちょっと比喩的なのでイメージとして捉えてください)。そして、その「おく」という行為の結果がそこに「ある」ことになる。具体的に言うと、今何もないところに、「ビールを買うという行為」を行い、「ビールを買うという行為の結果」を目の前に「おく」(繰り返しますが、ここはちょっと比喩的です)。ここまでが「買っておく」です。するとこの「買っておく」という行為の結果として、「ビールを買うという行為の結果」が目の前に「ある」ことになります。これが「買ってある」です。(ここで言う「ビールを買うという行為の結果」とは「何本かのビールがそこにある」ということですね)。そしてこの「買ってある」という状態は、今この瞬間も、あるいは将来のある時点においても、そこに「ある」限り、やはり利用することができる。かくして明日のパーティーで、祝杯をあげることができるわけです。
 明日のパーティーで飲むビールは買ってある?
 まだ買ってありません。
 昨日買っておかなかったの?
 時間がなくて、買えなかったんです。
 じゃあ、明日の6時までに買っておいて。
 はい。必ず買っておきます。
 こんな会話の中には、上記のような「おく」と「ある」のエッセンスが流れている。文法書に書いてある「準備」「放置」だのなんだのという意味は、こうした「おく」と「ある」のエッセンスが、それぞれの文脈に置かれた際に、立ち現れてきたものに過ぎないだろうと思います。
 「動詞+てみる」は決してメtryモとは完全に重ならない。何でかな?みたいなことも、同様に考えていくと、見えてくると思いますので、やってみてください。



 コラムやニュースを賑わせているのが、守屋氏元防衛次官の接待ゴルフである。ゴルフが接待に使われるは、それなりの因果関係があると個人的には考える。まず第一に、6時間以上も会話の機会を持てるものが他にはない。走るわけでもなく、フェアウエー、グリーン、カートの上でも会話ができる接待には大変便利なスポーツである。それに、ナイスショットなど相手を褒め上げるに大変好都合だ。二つ目は、ゴルフはその人柄である。気が短いか長いか、決断が速いか遅いか、慎重か大胆かなど、人間の本質も見え隠れするスポーツであること、自己中心的であるか、他の人のことを考えているか、最初からすぐに分かる。これもビジネスには大変重宝するはずである。三つ目は、接待の金額がちょうど手ごろであることではないか。接待するほうも、受けるほうも、2万円から3万円程度が、ちょうどいい。安すぎず、高すぎずである。もう一つは、プレー後、一緒に風呂に入る。すなわち、裸の付き合いができることである。お互いに裸になって風呂にはいることのできるスポーツは他にはない。
  ゴルフ場で受付を済まして、クラブハウスでコーヒーを飲んだりしている風景からは、明らかに接待ゴルフか、そうでないか、会話、雰囲気で分かる。もちろん、プレーを見ていても一目瞭然である。接待でなくても一緒に回る4人の関係は、会話を聞いていると大変面白い。日本人の文化的社会的な位置関係がゴルフには出る。これからも接待ゴルフはなくならないと信じている。
  個人的には、接待ゴルフをしないし、受けないことにしている。ゴルフとは、一日友人と楽しく愉快に、自然と遊ぶこと。もちろん、人と人が一緒にいるときは、マナーが大切であることは言うまでもない。最初にゴルフを教えていただいた人からは、使用した洗面台を必ずタオルで次の人のために拭いておくこと、それがゴルフだとの教えをこれからも、守って行きたい。



 暮らしの学校の駐車場横にSportsSquareが完成しました。ここは主にテニスコートとして使用されます。
YAMASA言語文化研究所と暮らしの学校との共用施設となります。学生が昼休憩の時や授業後に使用します。また、暮らしの学校の定期講座 や会員様へのレンタルコートとしても使用されます。


■ 編集部より ■
 外国にいた時、欧米系の人は、つき立ての餅はSticky(ねばねばする)で嫌う人が多いと、在留邦人の方からよく聞かされた。しかし、それも食わず嫌いの類だったのではと、美味しそうに餅を食べる外国人学生を見て思う。文化的なものは頭だけでは理解できない。触れてみて、浸ってみることで、より理解の深まることを実感させられた。(S.S)

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